『素直』は正義ってことで良いですか?
こんにちは、サチヲです。
今日は、『素直になる』と『言いなりになる』は違うよねというお話です。
さてと、何が違うのでしょう。
人から学んだことを、そのまま真似をしているとたまに言われることがあります。
「ホント、その人の言いなりだよね」
と。
んー、これは仕事でも、遊びでも、趣味でも、芸術関係でも、スポーツでも“先生”と呼ばれる方がいると思うんですよ。
その“先生”が、親だったり、師匠だったり、上司や部下の場合もあるし、友達だったり、本や、映像の中だけの存在の場合もありますよね。
あ。これは決して、「ホント、その人の言いなりだよね」と言った方を、とやかく言う話ではありません。
言われた方、学ぶ方の“姿勢”や“心構え”のお話だと言うことを前提としてます。
話を戻しますと…
その“先生”の学びを『素直に聞いて行動するのか』、もしくは『言いなりになって行動するのか』では、その後の得られる結果が格段に違うと思うんですよ。
私は、高校卒業してから専門学校に入って、そこを9ヶ月で辞めて「音楽で食べていくんだー!」と息巻いて東京に出てきました。
パートはギターを弾いていたのですが、なんせ自己流でやっていたのでプロになるにはやはりちゃんと学ぶべきだと思い、音楽の専門学校に通いながらバンド活動をしていました。
やはりというか、ここで良くメンバーに言われたのが…
「そんな学校の先生の言いなりでやっているとオリジナリティが無くなるからやめとけよ」とか「先生2号になるよ」とね。
いやいや。
「そもそもおれは嫌々先生に教えてもらっているのではなく、今“必要”だから自分からやっているから。しかも、時間と労力と財力をなげうってでも、楽器同士でお話が出来るようになるために基礎知識とテクニックを学ぶことと考え、そして何よりその“基礎知識”を知らないでオリジナリティを出すなんてたかがしれてるから。」
と、思っていましたからね。
ここで言いたいのは、メンバーに言われて「あぁ…必要無いのかなぁ」とか「やっぱり言いなりでギターを弾いたら遠回りかなぁ」と流されて不安に思いながら学んでいたら、確実に音楽キャリアのペースは落ちていましたね。
だから、逆にまわりから『言いなり』や『2号』と呼ばれるくらい、自分の考えや弾き方をゼロにして『素直』にやりまくりました。
で、学び終わった後にいくらでもその“オリジナリティ”を追求したら良いし、学ぶ前に比べてその振り幅が広くなって良くなりましたからね。
まぁ、これは賛否があると思いますので強制ではなく、あくまで“ひとつのやり方”として聞いていただければと思います。
要は『素直』は悪くない。正義なんだよ。
と思いながら、今やるべきことの“先生”をそれぞれ見つけては学んでいます。
というか、この『素直』って他でも色々と大切ですよね?
いやはや。まだまだ先は長いです。
ではまた。