『明確さは力なり』と、最後にイケてる言葉をひねり出しましたー
こんばんは、サチヲです。
突然ですが、このドライバーの仕事をしてから本格的に『勉強』というのをやりはじめました。
45歳になった今…今さら?とか、ドライバーの仕事では必要ないでしょと言われたら必要はないですが、『思った時が適齢期』ということで構わずスタートしました。
勉強といっても学校の類ではなく、自分の好きなものを学びはじめました。
それは、各種ある『リテラシー』と呼ばれるものです。
リテラシーとは、ある特定分野の事象や情報を正しく理解・分析・整理し、それを自分の言葉で表現したり、判断する能力とあります。
こと私にいたっては、世の中のことを“正しく理解”から“判断する能力”が欠けており…要は全てにおいて明らかに情報脆弱といいますか、偏ってしまった自分がいたのです。
なんせ、20代の私は「自分を中心に世界は動いているんだー、ウェイ、ウェーイ!」と、笑顔でよだれを垂らしながらバンド活動していたくらいなので、社会人としての常識などとは無縁でしたね。
そんな中、最初のきっかけとなったのは、
「なんで、日本に不利益な情報や言動が電波を使ったテレビと新聞から流れてくるんだろう」と疑問に思ったことです。
だって、テレビや新聞の言ってることは、全部正しいと思ってましたからね。
それが、通信を使った情報、要はネットから簡単に情報を集めることができてから、疑問が確信に変わりました。
だから、最初に手をつけたのは、『メディアリテラシー』でした。
それからメディアリテラシーを学んでいくと、今度は“右翼”と“左翼”の問題にぶつかり、その後政治を学ぶことになります。
政治を学ぶと、日本の歴史を知るきっかけができて、その後は世界史に繋がります。
その間には、もちろん“宗教”も学ぶことになりますね。
ここまで、最初に話したリテラシーの種類が『メディアリテラシー』、『ネットリテラシー』、『歴史リテラシー』と目白押しになります。
なんで、こんなに学びの連鎖があるのかと言いますと、物事には『裏と表』、『右側と左側』のように両方の視点から学ばないと結局は偏ったものになります。
例えば、よく友達から彼女の相談を受けるのですが、友達である“彼氏”からの一方的な情報では…
「それは彼女が悪いよ。」
という結果になりがちなんです。
でも本当は、彼女の意見を聞かないと不公平ですよね。
両方とちゃんと話しを聞いてはじめて“答え”を出す相談に乗れると思うんですよ。
話しを戻しますと、それほど両者の間には、“考え方”や“価値観”、そして“正しいと信じている”ことがかけ離れているんし、それには“理由”があるのです。
だからこそ、その理由を知るために歴史まで伸びていくんですよね。
でもこれが、知れば知るほど本当に面白いのです。
明らかに、“偏っていた”ものの見方をしていました。
それを、一つひとつ“理由”を学ぶ楽しさを覚えてしまったのです。
ちなみに、まだ学んで間もないですが、正直に言うと私はどうやら右側の考えのようですね。
とはいえ、ブログを通して「これは間違ってるー」と吠えるつもりは全くありませんし、こればっかりは自由なので人それぞれで良いと思っています。
これは、ブログをはじめた数ある理由の一つですが、『勉強するなら発信するのが一番』という教えをいただいたからです。
しかも、私は“人に説明する”ことや“物事を伝える能力”が明らかに苦手なんです。
なんせ、感情が先に盛り上がるから冷静に話すのが苦手なんです。
そのくせ、人に教えたい願望が強く、一緒に驚きたいとか、一緒に笑いたいとか、人に“共感”を求めるクセがあるんです。
だから、音楽もソロプレイヤーではなく“バンド”にこだわりましたね。
また、話は逸れましたか…だからこそ、ブログならゆっくり書けるし、学んだことを発信しながら“伝える”練習にもなると考えています。
もはや、修行ですね。
1000記事くらいかけた頃には、少しは人に分かりやすく伝えることができて、共感できる読者も沢山出来たらいいなぁと思ってます。
でも、“思想”とか“宗教”とか、結構デリケートな内容もたまに出ると思いますが、純粋に私の“主観”として責任を持って発信させていただきます。
今日は、私が“読者登録”している中の人で、ブログのやる理由について書かれたのを見て、私も改めて考えて書いてみました。
ありがとうございます(╹◡╹)
とはいえ、どうなりたいか?とかまだまだ目的と目標がまとまっていないので、そこを明確にして続けたいと思います。
そう。ここでイケてる言葉です。
『明確さは力なり』ということです。
ふわふわな気持ちで取り組むより、やるべきことを明確にして行動をした方が良いこともありますよね。
そういえば…みなさんの“あるある”かと思いますがこのブログ書き終わって保存したのですが…消えたのです。
理由はわかりません。
これは、もう一度書いてもっと“明確”にするチャンスをもらえたのですね…というドMにも似た想いを胸に終わりたいと思います。
ではまた。