得意淡然、失意泰然で淡々とやるべきなんですね
こんにちは、サチヲです。
今日は、正に今後の自分に対して戒めると言いますか、変化すべき点に対して、1番しっくりくる言葉が見つかりました。
得意淡然、失意泰然。
(…物事がうまくいかなくなっても、あせらず、落ち着いて、時節の到来を持つべきだ。うまくいく得意の時代には、おごらず、つつましい態度で当たるべきだ)
プロフィールでもあるように、私はかなりの感情的で、物事に対し一喜一憂し、リアクションを大きく取りすぎる人である。
自分のこのようなところを理解してくれる寛大な人が周りにいるおかげで、『それが自分の良いところなんだ』とも認識しています。
でも、一方でその性格が『災い』をもたらす場合があります。
やはり、接する、見るものにとっては、
お調子者や八方美人見られたり…
言っていることがウソくさいと言われたり…
単純にうるさいと煙たがれたり…
とまぁ、あげたらキリがないのですが、落ち着きのない人間として損をしている場面に時折出くわしたり、男の嫉妬のようなものにあたる時があります。
はっきり言って、『そんなこと』をいう人は、自分の人生において必要のない人だし、付き合う必要もないし、距離を置くことをすれば良いと思っていますし、うまくできたか分かりませんが実際にそうしてきたつもりです。
それでも、やっぱり…なんかモヤモヤします。
きっと、実際にはうまくできていなんでしょうね。
そんな時、どーしても自分の目的の為に通らないといけない道に、しっかりと『そんなこと』を言う人が立ちはだかるんですよね。
乗り越えないといけないとわかってても、この歳まで育つと、どーしても自分を今更変えられない変なプライドもあります。
でも、今年はそーも言っていられなく、仕事場では『大きな声と大きな笑い声を出さないで、余計なリアクションをしないで静かにいる』という謎のルールを敷いて自分を守っていました。
これはこれで、なんとか心身ともになんとかやっていけてますが、ここにきて『得意淡然、失意泰然』に出会いました。
しかも、これを淡々とやるんです。
毎日のルーティンな作業こそ、気持ちや感情を抜きに淡々と積み重ねていくことと一緒な感じですね。
“いいことがあっても平然としていて、悪いことがあっても堂々としている”
でも、これをするには相当『自分を律する』ということが実践できないと難しいですよね。
別の話ですが、今度、人生の先輩に質問する機会があったら、真っ先に『どのようにして自分を律することをしていますか?』と聞こうっと。
もう少し、しっかりとした、明確な自分の基準を持てば、他人の評価や他人の目に影響されなくなるのかなぁ。
仕事や、自分の目的の為に通るべき道は今後も、今以上に『したたかに』通ります。
それには、余計とも思われる時間もかかるでしょう。
だからこそ、自分の人生の核となる家族や友人たち、いわゆる自分の人生にとって大事な人たちとすごす時間を大事にしようかと思います。
たまには、ブログでこんなガス抜きも良いのかと。
ではまた。