『木の上に立って見る』=親
こんにちは、サチヲです。
いやはや。
まだまだ、『親』として未熟だなぁと痛感した出来事がありました。
同時に、この『親』という漢字を考えた人はどれだけ“子育て”を解っているんだとビビりましたよ。
私の休日は、家族みんなで息子が走り回れる公園に行くのが日課となっています。
この日は大好きな砂場の隣に、これまた大好きな手洗い場があり、今日はそのまわりで水をかけながら泥んこ遊びをはじめました。
その場所には、先客である小学生の低学年であろう女の子が2人で遊んでいました。
最初は仲良く…というか、それぞれの世界で各々遊んでいましたが、いざお水を使うときになった時に“順番に使う”ことができなくて息子がぐずって声を荒げてしまったんです。
その時に私は我慢ができなくて、というか何も考えずに速攻で息子に
「順番だよ!じゅ・ん・ば・ん!」
と、声をかけてしまいました。
だがしかし。
直ぐに妻から、
「ちょっと。なんですぐに声をかけるの。子ども達には子ども達のコミュニティがあるのよ。」
「せっかく自分達で解決するはずだったのに、親が口出しするとなんにも勉強にならないよ。」
と、言われて、私はショックを受けました。
息子の成長の機会を奪ってしまいました。
まだ、言葉を喋れない息子がどのように主張するのかとか、思い通りにならない経験等を奪ってしまいました。
そして、反省している私に妻はこう付け加えました。
「もし、声をかけるなら殴ったり危害を加えた時にしてね」
と。
…どうやら私は、普段から子ども達と接していない(言い訳ですが…)ので必要以上に甘やかしているようでした。
私はちょっと正直恥ずかしくなり、直ぐに声をかけられない場所まで下がりましたよ。
これが、『見守る』ということなんですね。
もちろん、子育てには正確はなく、それぞれの家庭の文化に合わせたもので良いと思います。
しかし、私は“こうでありたい”と思いました。
子どもが見える適度な距離を取りながらも、有事の際に駆けつける。
それ以外は、笑顔で見守る。
もちろん、求められたら全力で応える。
今までは、何かあるたびに
「あーじゃない。こーしなさい。あーした方がよいよ。あっちだよ。こっちだよ。」
と、全てに対して声をかけ関わり続けることが息子の為と思っていましたが…学びのチャンスをなくしてましたね。
妻、スゲーな。
尊敬します。
こーゆーのを積み重ねて『親』になっていくんですね。
次の、休日が楽しみです。
ではまた。